1: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:09:32.82 ID:Bte9AddR0
モバマスss
地の文有り
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2: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:10:37.44 ID:Bte9AddR0
建物の三階の、西方の角にある喫煙室を利用する人は多くない。
それどころか、わたしの知りうる限りでは、誰もいない。
そもそも三階はスタッフが作業をするフロアであり、喫煙をするスタッフは三階中央の談話室のすぐそばに据えられた大きな喫煙室を利用するからだ。
3: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:12:02.36 ID:Bte9AddR0
その喫煙室の隣には、滅多に使われることのない小道具や衣装などをしまう備品室がある。
あまり開かれることのない備品室の中には勿論のこと、部屋前の廊下は、入りきらなかった備品で溢れている。
その備品の山を越えた先に、年季の入った扉がもう一つあって、ノブを引くと、換気扇の回る音がわたしを迎える。
4: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:13:32.90 ID:Bte9AddR0
わたしの勤める芸能プロダクションは、業界でも珍しいほど規模が大きい。
本社ビルの中には幾つもの部署が存在している。
直接的にアイドルの傍で仕事をこなす人もいれば、事務作業ばかりを担当して、日がな一日パソコンと向き合う人もいる。
5: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:15:08.23 ID:Bte9AddR0
一本吸い切ったのに、まだどこか、口寂しい。
今日はずっと書類を作成していたからか、肩が凝って仕方がない。
微かに届くアンビエントミュージックに耳を傾けながら、わたしはキャスターをもう一本取り出す。
6: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:16:42.09 ID:Bte9AddR0
わたしのくちびるに触れて、少しだけ湿ってしまった煙草を所在なげに手の中で転がしながら、依然としてわたしは喫煙室にいる。
今日の分の仕事は終わっているので、あとは自宅に帰るだけ。
それでもなんとなく、このままもう少し座っていたかった。
7: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:18:50.73 ID:Bte9AddR0
「えと、とりあえず入っていいですか」
言葉を失ってしまったわたしを見つめながら、彼は困ったような笑みを浮かべている。
「あ、はい、どうぞ」
8: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:20:31.16 ID:Bte9AddR0
彼は一度、深く息を吸うと、吸った分と同じだけ深く煙を吐き出した。
続けざまにもう一度煙草を咥え、同じように紫煙を吐き出す。
幸福そうに煙草を呑む彼を尻目に、わたしは奇妙な気分に陥る。
9: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:21:46.82 ID:Bte9AddR0
「ああ、えっと、ライターが切れてしまったみたいで」
わたしは笑顔を作って答える。だけどその表情は、きっと固いだろうなと胸の内にだけ呟く。
10: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:23:48.63 ID:Bte9AddR0
彼とは同じ部署に所属している。
いつだったか、大きなイベントごとの前には、職場で夜を通して一緒に仕事を詰めたこともある。
知り合い始めてから数えると、二年にはなる関係だった。
11: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:25:36.32 ID:Bte9AddR0
眼前に、てのひらに収まるサイズのライターが差し出される。
「これ、よかったら」
柔らかな声が聞こえる。
12: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:27:16.37 ID:Bte9AddR0
沈黙は心地良かったが、気がかりだったことを思い出した。
「今日のお仕事は、もういいんですか?」
「ええ、まあ。ちひろさんは?」
13: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:29:13.62 ID:Bte9AddR0
それを聞いてわたしの脳裏に、ひとりの少女が浮かぶ。
一ノ瀬志希。
才能という天からの贈り物を羽織る、ギフテッドと呼ばれる存在。
14: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:31:30.69 ID:Bte9AddR0
アンビエントミュージックは粛々と流れ続ける。
徐に彼が二本目の煙草に火を点ける。
それを切っ掛けに、漸く話を切り出すことができた。
15: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:33:05.45 ID:Bte9AddR0
「志希ちゃんに限ってそんなこと、あるんですか」
虚を突かれたあまり、言い方がストレートになってしまった。
プロデューサーもわたしの驚きぶりを見て、無理もないと言わんばかりに肩をすくめてみせる。
16: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:36:29.58 ID:Bte9AddR0
「他の人は勿論、志希本人にも言わないでくださいね?」
そう言って彼は煙草の煙に乗せるようにして、話し始める。
「志希自身、誰にも見せないところで精神的に塞ぎこむ部分があったみたいで、それが仕事に影響したのかもしれないんです」
17: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:39:09.57 ID:Bte9AddR0
「……そうですね、ここはプロデューサーさんがしっかりサポートしてあげるところだと思います。ですけど」
「ですけど?」
「志希ちゃんの話を聞くだけじゃだめですよ? きちんとプロデューサーさんからも歩み寄らないと、です」
18: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:41:04.91 ID:Bte9AddR0
「俺はあいつのプロデューサーですし、責任があります」
「それに、どうせならもっといい景色を見せてやりたいんです。トップアイドルという高みから」
「……その為には、あいつと対等に向き合わないといけないってことですね」
19: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:42:47.16 ID:Bte9AddR0
「……それにしてもここ、なんなんでしょうね」
気恥ずかしくなったのか、彼が無理に話題を変えてきた。
「喫煙室なら談話室の横にもあるのに」
20: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:45:35.34 ID:Bte9AddR0
その後も気の抜けたボールのように弾まない会話を幾つか交わして、お開きになった。
わたしもプロデューサーも、明日の朝には仕事が待っているのだ。
21: ◆K5gei8GTyk[sage saga]
2016/08/22(月) 21:48:58.62 ID:Bte9AddR0
「やっぱり、煙草は控えた方がいいんでしょうか」
わたしがそう尋ねると、彼は首を横に振った。
「別に構わないと思いますよ。ちひろさんは大人の方ですし」
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