109: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 05:56:52.57 ID:79dYTcmBo
 「お願い、聞かせてほしいの。どうだったかしら、”ガラス”の声ではなかった?」 
  
  少し期待を込める様な目だった。まるで頑張った子供が、成果を褒めてもらいたがっているように、思わず見える。 
  
 『……確かに”ガラス”の声ではありませんでしたよ』 
110: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 05:57:58.37 ID:79dYTcmBo
 『……まだ、”ガラス”の声の方が、マシに思えました。あの時と同じく、確かに透き通っているのですが、何というか……』 
  
  私は少し言いよどむ。 
  
  元々私は弁が立つ方ではない。コミュニケーション能力がある、というのはいわゆる世渡り上手、といった意味に近しく、いろんなことに手を出していたが故の引き出しの多さ、がその拠り所になっていた。 
111: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 05:58:39.23 ID:79dYTcmBo
 「……そう」 
  
  彼女は落胆したように、それだけ言うと、少し俯いた。ああ、こうなるから嫌なのだ。弁が立たないから、相手を傷つけずに意見を言うことが出来ない。 
  
  どうしても、相手が傷つかないギリギリのラインが分からない。私は思わず、 
112: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 06:01:18.12 ID:79dYTcmBo
 「私は、少し嬉しく感じているくらいよ、Pさん?」 
  
  私が少しばかり目を背けていると、彼女はそんなことを言う。少し耳を疑い、眉をひそめると、彼女の方へと再び向き直る。 
  
 『嬉しい、ですか?』 
113: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 06:02:54.90 ID:79dYTcmBo
 「率直に答えてほしいの、お世辞抜きに。……私は、非凡に見えるかしら」 
  
  彼女は、私にそう尋ねた。一瞬、私は言葉の意味を理解しかねた。非凡かどうかと問われれば、間違いなく非凡だろう。あれほどの才能を有するのだ。 
  
  だが、私はどこか違和感を抱いていた。なんだろうか、この感覚は。何か、私は忘れている気がする。 
114: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 06:03:21.39 ID:79dYTcmBo
 『……答える前に、一つ聞いてもよろしいですか、千秋さん。質問に質問を返すのは、失礼とは思いますが』 
  
 「……ええ、構わないわ」 
  
  彼女の震えは止まらない。それがきっと、何かを怖がっている、あるいは不安に思っているのは明白である。その理由を聞きたい。 
115: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 06:04:02.16 ID:79dYTcmBo
 『……千秋さんは、ごくごく普通の、平凡な女性ですよ。そういう意味では、平凡だと、私は思います。才能は間違いなくありますが』 
  
  そう言っていた。同時に、私は我に返ったように、今自分が言った言葉と、社長から言われた言葉を反芻する。 
  
  平凡と無能は違う。もしそうであるなら、”平凡だが有能”ということが成り立つのではないか――。 
116: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 06:04:51.37 ID:79dYTcmBo
 「幼いころから私は、天才と呼ばれてきたわ。良家の子女として生を受けてから、ずっとよ」 
  
  彼女は、ぽつりと漏らすように、自身の過去を言葉にして、吐きだし始めた。 
  
 「両親は厳しかった。黒川家の娘として、恥にならないように、様々なことを教え込まれた。楽器もだし、勉強もだし、そして声楽もその一つよ」 
117: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 06:05:34.80 ID:79dYTcmBo
 「教え込まれたものは、全部必死にやって、そして上手くなった。でも、周りの人は、私を天才だ、天才だと囃し立てるだけだったわ」 
  
  彼女の悲しそうな表情が、少し胸を締め付けた。その気持ちは、少しだけ理解できる気がする。 
  
  私も、幼少期はいろいろなことに手を出していたが、いつしか全部やめていた。それは、やはり一定の努力をすると、あるところで実力の向上が止まり、挫折をしたからだ。 
118: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 06:06:57.83 ID:79dYTcmBo
 『やっぱり千秋さんは、どこにでもいる普通の女性ですよ。声楽がお上手で、かなりの美人という点を差し引けば、ですが』 
  
  私は、その眩しさを誤魔化すように、お世辞の皮をかぶせた本心を言う。彼女は嬉しそうに笑うと、 
  
 「あら、口説いているのかしら?」 
119: ◆m03zzdT6fs[saga]
2013/08/25(日) 06:07:24.22 ID:79dYTcmBo
 「ええ、Pさんはとても平凡な方だと思うわ」 
  
  千秋さんは、そんな私の思いを知ってか知らずか、何のためらいもなく私のことをそう評価した。 
  
 「同時に、とても有能な方だとも思うの。何といえばいいかわからないけれども……」 
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