1: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:38:41.57 ID:81cm0N8d0
橘さんはありすちゃんだけど、ありすちゃんではない。
あるいは、橘さんはありすちゃんだけど、ありすちゃんではなくなったと言うべきか。言葉遊びのような呼称問題は、「大人」に手を伸ばすありすちゃんを象徴している。
橘さんは名前で呼ばれるのを嫌がった。ありすちゃんと呼んでいた頃は、橘です、とよく訂正されたものだ。理由を聞けば子供っぽい名前だからなんてため息混じりに答えていたが、本当に嫌だったのは名前で呼ばれる行為そのものにあったことを、ぼくは見逃さなかった。きっと名前は関係ない。理由にできたからそうしただけで、たとえば日本人にありふれた名前だとしても、どうにか上手い具合に理由を作って訂正してきたことだろう。
簡単な話、同級生が名前で呼び合っていたから、大人が苗字で呼び合っていたから。そういう形式に憧れただけなのだと思う。
微笑ましい抵抗だ。可愛らしい背伸びだ。ただ、思春期の子は気難しくなるもので、ぼくたち大人には些細に思えることでも、彼女たち子供にとっては重要な出来事である場合も多い。
そしてそれは誰しもが経験する。ぼくだってそう。だから、ぼくは笑わなかったし、笑えなかった。
いずれにしても、十二歳のアイドル橘ありすを子供扱いしていたのは初めのうちだけで、担当してから数ヶ月が経った頃には本人の希望どおり、ぼくは橘さんを大人扱いすることにした。
こうして三年前。小学校を卒業した橘さんは、ありすちゃんを卒業した。
◇
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2: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:40:34.87 ID:81cm0N8d0
仕事を終えた夕方に小会議室を借りた。テーブルに、どさっと橘ありすの三年と少しの軌跡を広げる。
硬めの椅子に腰を下ろして、アルバムをぺらぺらとめくると写真の移り変わりとともに懐かしさを覚えた。赤いランドセルは紺色のセーラー服に変わり、次第に背が伸び胸は膨らみ、身体つきと顔つきは「子供」から現在の見慣れた橘さんへと変化していく。
出会った頃の橘さんはありすちゃんと呼ぶに相応しい容姿をしており、大人っぽくはあったけど大人らしさではなく、結局のところ子供だった。もちろんいまだって子供だ。しかし、小学生と中学生の境界には大きな隔たりがあるように思う。
3: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:42:01.06 ID:81cm0N8d0
よし、と意気込んで写真に向き合う。ぼくにできることは少ないけれど、できることをしよう。
そうして写真を手に取ったとき、ノックの音が二度響いた。
今日はこの会議室が使われる予定はないはずだけど。首をかしげてみる。理由は思いつかない。考えてもダメなら返事をするしかない。
4: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:43:08.47 ID:81cm0N8d0
「それで、橘さんはなにしに来たの? 今日はなにもないよね」
気になっていた疑問を投げかける。すると橘さんはわかりきっていたと言わんばかりの勝ち誇った顔をする。昔と比べて表情豊かになったものだと、机の上の写真を見ておかしくなった。
「用がないと会いに来てはダメですか?」
5: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:44:39.62 ID:81cm0N8d0
「私ももう高校生です。つまらないことに拘るのはやめました」
帰りの車中、後部座席に座る橘さんは唐突にそう言った。ルームミラーに短く視線をやると、真剣な眼差しとぶつかった。どうやらここからが本題らしい。
「早く大人になりたかったんです。でも、そう思うことがなにより、子供の証明みたいなものでしたね」
6: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:45:54.90 ID:81cm0N8d0
「まったくプロデューサーさんは。……それで、そう、呼び方です。昔は橘ですと訂正しましたが、いまは気にしません。どうぞありすと呼んでください」
「いや、いいよ。それこそもういまさら変えるのもね」
「えっでも、ほら……仲悪いと思われてしまいますよ? 苗字で呼び合うより自然です」
7: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:47:18.27 ID:81cm0N8d0
卒業式当日、昼過ぎに会社のロビーで待ち合わせた。
やってきた橘さんは、目尻が赤くなっていた。きっと卒業式で泣いたのだろう。改めて橘さんが中学を卒業したのだと思うと、三年と少しつきあってきたぼくにも感慨深いものがあった。
「卒業おめでとう、橘さん」
8: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:48:30.21 ID:81cm0N8d0
と、笑顔を見せてすぐに「でも」と橘さんは切り出した。
「ひとつ不満があります」
思いもよらない言葉にぼくは焦る。デザインが露骨すぎたのか。いや、橘さんがそこに不満を言うとは思えない。
9: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:49:56.03 ID:81cm0N8d0
それから五分後、泣き止んだありすちゃんと車に移動した。走りだした車内にはなんとも言えない空気が漂う。
気まずい。なにかを話さないと。そう思っても言葉がうまくでてこず、口をぱくぱくさせるだけだった。
「あの……ごめんなさい」
10: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:51:19.10 ID:81cm0N8d0
「そっか。うん、まあ、わかっていると思うけど、ぼくはありすちゃんを嫌っているとか、そういうことはないから。むしろ好きだよ。気づかなくてごめんね」
確かに三年半年近くを一緒に過ごしてきた相手に苗字呼びされたら距離を感じるのかもしれない。了承を得ていたとしても、続けていけば不安が過るかもしれない。思春期は不安定な時期なのだ。都度確認をしていくべきだった。気持ちが変わってもおかしくはないと、自分の経験からもわかるはずなのに。
つまるところコミュニケーション不足だ。ぼくは大人なのだから、もう少し気にかけるべきだった。
11: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:53:40.00 ID:81cm0N8d0
「えっ、待って。あれ、本気だったの」
「本気です。いまも」
泣いたからか開き直っているらしい。言葉に付随する意味を理解して、それでもなお、ありすちゃんは堂々と言った。
12: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:54:34.89 ID:81cm0N8d0
最後の右折をして、ありすちゃんの自宅の前に車を停めた。エンジンを切って車から降りる。外に出ると優しい日差しが気持ちよかった。車体左側に回り、後部座席の扉を開く。ぼくは手を差しだした。
ありすちゃんはぼくの手を取って車から降りる。向かい合うとなんだか気恥ずかしい。
「私はもう高校生です。つまらないことに拘るのはやめました。子供っぽいと思うことも、恥ずかしいからと躊躇うこともやめにします。だから覚悟してください。絶対に振り向かせてみせますから。見ていてくださいね」
13: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:55:09.02 ID:81cm0N8d0
ありすちゃんを卒業して三年。ありすちゃんは中学校と同時に橘さんを卒業して、ありすちゃんになった。
14: ◆U7CecbhO/.[saga]
2016/12/09(金) 22:55:50.99 ID:81cm0N8d0
終わり。
15:名無しNIPPER[sage]
2016/12/09(金) 23:03:28.14 ID:fF8pXOcGo
最高だ
16:名無しNIPPER[sage]
2016/12/09(金) 23:22:26.31 ID:l5mjezsUo
ありすちゃんかわいい
17:名無しNIPPER[sage]
2016/12/13(火) 22:26:19.20 ID:1rCC0v+mo
おつおつ
あと3年後にはもう一度橘さんを卒業しそうだなw
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