32: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:49:09.62 ID:zJUkddjZ0
「話に聞く異界侵食は、異界の主のためだけに創造されるもの。そこに調和という言葉は無い。けどここは、おそらく標的が来る前と大きな変化が無い」
イヴの言うとおりなのだろう。肌を突き刺す冷たい感覚を除けば、ここはいたって普通の林の中だ。木を見上げると、俺の視線に気づいたこの地域の鳥が羽ばたいて逃げていく。木も鳥も、異界侵食の影響を受けているようにはまるで見えない。
いや、そもそもこの肌を突き刺す感覚ですら、マリア・アッシュベリーを[ピーーー]ことを完全に諦めてしまえば消えてなくなりそうだ。
33: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:49:44.23 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※
そこは、絵画の世界だった。
34: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:50:19.74 ID:zJUkddjZ0
女が泣いている。
彼女はたおやかな手で顔を覆い、草むらにしゃがみ込み悲しみに暮れていた。
凍てついた彼女の心を温めようと、木々はその身をどかし暖かな陽光を彼女へと導く。
35: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:51:05.20 ID:zJUkddjZ0
背丈は一六〇半ばで、年はシモン・マクナイトに聞いていた通り二十歳程度。その髪は膝を着いていると地面にふれそうな長さで、蜂蜜色のそれは陽光の下で黄金の如き輝きを放っている。
涙を流し悲しみ暮れるその様子は、何をしたわけでもないのに罪悪感と、無尽の献身を舞い起こすものなのか。その神秘さは、鳥や蝶ならず木々にさえ影響を及ぼしていた。
村娘のように青と白のコットを重ねて着ており、緩やかな服の上からでもふくよかな肉付きをしているのが見て取れた。だが彼女は世間知らずのただの純粋な村娘などではない。
36: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:51:43.49 ID:zJUkddjZ0
別に教える必要は無い。むしろやる気が無くなりつつあるとはいえ、姿を隠しているイヴと共に彼女を殺そうとしていたのに、彼女に気力を与えてどうするというのか。
しかし何故だろう。彼女の周りにいる小鳥や蝶たちではあるまいし、このまま彼女を悲しみに暮れさせるわけにはいかないという想いでも湧き出たのか、気づけば口にしていた。
「本当……ですか? 良かった……本当に、良かった。私は、てっきり」
37: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:52:16.96 ID:zJUkddjZ0
「シャルケがオマエを狙ったのは、オマエを[ピーーー]依頼を十億で引き受けたからだ。そして俺も雇われた一人でね。もっとも、なぜオマエに十億もかけられるのかは知らんが」
「……嘘、ですよね?」
つい先ほど一生ものになりかねないトラウマを負ったばかりだというのに、それがもう一度襲いかかろうとしているからだろう。彼女は泣きながら笑っているような顔で、青ざめた唇から祈るように囁く。
38: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:52:59.13 ID:zJUkddjZ0
「自分が何者かわからない……か」
それは、俺もだった。
たったそれだけの共通点。けれどそれは二つの選択肢に悩んでいる俺にとって、十分すぎるほどの後押しだった。
39: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:53:44.13 ID:zJUkddjZ0
二年前。夜の冷たい風にかき消されそうなか細い、しかし尋常じゃないほどの情念が込められた問いが思い起こされる。
40: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:54:15.08 ID:zJUkddjZ0
「あ、あの! お願いです、待ってください!」
きびすを返そうとする俺を、マリアは懸命に呼び止めた。
「わけもわからず命を狙われて心細いのはわかるが、頼る相手を間違っているぞ」
41: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:54:46.08 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※
マリア・アッシュベリーの敵ではないと見なされたのだろう。林の中を通っていても、生々しい幻覚に襲われることはなかった。
42: ◆SbXzuGhlwpak[sage]
2019/06/01(土) 02:55:29.60 ID:zJUkddjZ0
「まあ冗談はこれぐらいにしておきましょうか。私は寛大ですから、これからする質問に正直に答えれば、裏切ったことについて不問に処します」
「寛大ねぇ」
「不服でも?」
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