過去ログ - 千早「先生と私」
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1:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:29:21.23 ID:bEFC5GTXo
 動きを止めたメトロノームを手に取ってゼンマイを巻いていると、ふと、傍の階段に一人座ってこちらを見ているのに気付いた。
 聞こえるように溜息をついて、顔をしかめながらちらちらと視線を投げても、腰を上げる様子がない。鬱陶しい、と言うわけにもいかなかった。階段に座る彼の年齢は確か二十八で、少し皺のついたスーツと汚れたスニーカーが似合うステレオタイプな――教師だったから。
 鬱陶しいのであっち行ってください、なんて口が裂けても言えないのだった。

「何か用ですか」
 遠まわしな言い方なら、きっと許されているはずだった。

「いや、別に」
「そうですか。暇なんですね」
 吐き捨てるように嫌味を言って、私はゼンマイの巻き終わったメトロノームを窓枠に置いた。
奥行きのある窓枠、その向こうにはモダンな造りの校舎と若葉を纏う木々。
それらの間を縫うように生徒たちが歩いている。
きっと春の濃い匂いは薄れ始めていて、五月特有の爽やかな風が揺らしているのだろう。

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2:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:30:58.39 ID:bEFC5GTXo
 私は学校が嫌いだった。ずっと、嫌いだった。
他人の話し声が嫌いだ。笑い声も嫌いだ。怒鳴り声も、すすり泣く声も嫌いだ。

 耳慣れた音、メトロノームの規則正しい音に合わせて、
低い声から高い声まで長く発声する。
以下略



3:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:31:46.09 ID:bEFC5GTXo
 振り返って、苦々しい顔を見せてやると彼は同じように苦々しい顔をした。

「悪い。ここ、埃っぽくって」
「邪魔しないでくれます?」
 きっぱりと言うと彼は苦笑して、ようやく腰を上げた。
以下略



4:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:32:33.71 ID:bEFC5GTXo
「こんにちは。やってるね」
 声に振り向くと、彼は階段を降りているところだった。
よいしょ、と下から三段目に腰かけて、気にせずどうぞ、とでも言うように手をひらりとふった。

 私は小さく溜息をついてから、基礎練習に戻った。
以下略



5:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:33:15.06 ID:bEFC5GTXo
「別に……クラシックとか」
「クラシック」
 彼はまるで初めて聴いた言葉のように、おうむ返しにした。
ジャズ、と答えても、ハードコアパンク、と答えても、きっと同じようにおうむ返しにするんだろう。

以下略



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2014/03/02(日) 20:34:18.05 ID:bEFC5GTXo
「ほら、"展覧会の絵"ですよ」
 何故だか私は食い下がった。
お互いに、知らない知らないでこの会話を終わらせるのは何だか居心地が悪かったのかもしれない。

 展覧会の絵。名前だけなら、いやメロディなら誰でも一度は耳にしたことがあるはずだ。
以下略



7:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:35:25.54 ID:bEFC5GTXo
「もしもし、お母さん?」
 家に帰って、食事と一通りの家事と風呂とを済ませた後、母親に電話をした。

 彼の言っていた曲名を告げると、母は、ああ、あれね、と軽くメロディを口ずさんだ。
私はそのメロディにああ、あれね、とは言えなかった。初めて聴いたのだった。
以下略



8:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:36:35.29 ID:bEFC5GTXo
 翌日、私は練習を休んだ。旧校舎には寄らず、げた箱から昇降口を出て五月の夕方を泳いで行った。

 いつもよりちょっと遠回りの道を歩いていく。道行く人の顔ぶれも全然違う感じがした。
いつもの時刻、いつもの道ですれ違う人々のことを覚えているわけじゃなかったけど、
やっぱりいつもとは違う感じがした。
以下略



9:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:37:53.02 ID:bEFC5GTXo
 さて、次は"いーえるぴー"だ。

 とりあえず、同じ邦楽の"い"の欄を探す。無かった。
 "え"の欄を探して、結局こちらも見つからなかった。

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10:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:39:09.90 ID:bEFC5GTXo
 あった。"展覧会の絵"と印刷された背表紙。そのアルバムを外側のケースから抜き取って、スピッツに重ねた。

 なんとなく、ELPのアルバムをもう一枚重ねた。
"恐怖の頭脳改革"という妙なタイトルが気になったのだった。

以下略



11:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:39:54.15 ID:bEFC5GTXo
 昨日借りたのは、"当たり"だった。アイアン・メイデンとポリスは元々好きだったし、
今度安いのを見つけたら買っておこうと決めた。

 スピッツとELPはどれから聴くか迷って、
まず、"恐怖の頭脳改革"をプレーヤーにセットした。
以下略



12:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:41:21.06 ID:bEFC5GTXo
 さて、私は基礎練習は毎日同じ量をこなす。
今日も同じ量をこなしたが、いつも楽しくてじっくりやれる練習に何かじれったさを感じた。

 練習を切り上げて、自由時間に入る。
今の気分は――決まっている。今の気分は昨日の夜から、決まっている。
以下略



13:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:42:27.92 ID:bEFC5GTXo
 歌い終わると、先生は盛大な拍手を送ってくれた。
二か所、音程がぐらついたのと、ビブラートがへろついたのとで、私は自分の歌に不満だった。

「いや、如月、すごいよ。素敵だ」
「でも……ミスしました」
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14:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:43:07.46 ID:bEFC5GTXo
「辞めました。つい、一週間くらい前に」
「そうか。……でも、練習は続けるんだな」
「まずいですか?」
「いや……まずいってこたない」

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15:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:44:12.72 ID:bEFC5GTXo
「合唱部なら色々と学ぶこともあるかと思ったんですけど、あの調子ですから」

 先生は目を細めた。あの調子、を想像しているのかもしれない。

「ここで練習、しても構わないですよね?」
以下略



16:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:45:23.71 ID:bEFC5GTXo
 先生は暇なときは私の練習を見に来た。時々、忙しくて来られないこともあったけど、
歌は職員室でしっかり聴いていると言っていた。

 先生が練習を見に来ている時、今まで通り気分で選曲して歌う他に先生のリクエストを受けることもあった。
ちょっと前なら、鬱陶しいのであっち行ってください、くらい言っただろうけど。
以下略



17:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:46:19.73 ID:bEFC5GTXo
「こ、声ですか」
「うん。どうした。顔が赤いけど」

 先生は苦笑いして、私の赤面を指摘した。

以下略



18:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:47:12.98 ID:bEFC5GTXo
 基礎練習を済ませてから、私は目を瞑って考えた。
今の気分では、歌いたい歌は何も思いつかなかった。

 溜息をついて、いつも先生の座っている階段に腰かけてみる。
この席から私はどう見えていたのか。私の頭はちょうど窓くらいの高さだろうか。
以下略



19:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:48:28.23 ID:bEFC5GTXo
「……立ち入ったこと訊いてもいいか」

 立ち入ったこと。家族のことだろう。どうぞ、と私は質問を促した。

「お母さんと仲悪い?」
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20:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:49:21.45 ID:bEFC5GTXo
「先生、私、本当に時々……時々なんですけど」

 隣に座る先生の眼を見る。私はこれから残酷なことを言う、と目で合図すると、
先生は少したじろいだ。立ち入ったのは先生だ。私は彼の手を引く。

以下略



21:以下、2013年にかわりまして2014年がお送りします[saga]
2014/03/02(日) 20:49:59.11 ID:bEFC5GTXo
「もしもし、お母さん」

 電話の向こうで少し戸惑いというか、そういう気配がした。
前から、あまり日にちが空いていないのに、電話がかかってきたからだろうか。

以下略



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