1:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
2011/08/28(日) 17:01:22.72 ID:vDKXf2v5o
足音をひそませて階段を登りきると、突き当たった窓に背を向けて廊下を歩き、彼は自室を目指した。
静かな夜の屋内では、自分の足音さえも大きく響く。ドアノブを捻り、体を扉の内側に滑り込ませてから、彼は息をつき安堵した。
暗い部屋の中で彼が最初にしたのは、電気をつけることではなく、鍵を閉めることだった。
彼の部屋には、そもそも鍵といえる鍵がついていなかった。ドアにはシンプルなノブだけがあり、他には何もない。
自分でつけるという選択もあっただろうが、彼はその手間を惜しんだ。部屋にはちょうど手頃な高さの本棚があり、それを利用することにしたのだ。
多少の高さの違いはあったが、本棚は軽く動かしやすいものだった。その上に本を何冊か乗せて、ドアノブに噛ませる。
ノブが動かなければドアが開くこともない。こうして彼は、何一つ労することなく鍵を手に入れたのだ。
あるいは、この本棚さえなければ、自分の人生ももっと違ったものになったかもしれない、と彼は考えかけて、やめた。
暗い部屋の中で、パソコンのモニターだけが自己主張を続けている。彼はデスクの前の椅子に腰掛けてモニターを睨んだ。
適当なニュースサイトを巡って暇潰しをする。アフィリエイトの張られた情報サイトの、リンクからリンクへと記事を辿る。
この手のニュースサイト巡りには果てが無い。経験から、彼はそれを知っていた。けれど同様に、彼の退屈もまた、果てのないものなのだ。時間潰しには最適だろう。
2:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:07:29.44 ID:vDKXf2v5o
彼は取り上げられた記事を見て、笑ったり、腹を立てたり、ときどき泣いたりもする。さまざまな情報を目に入れることに、ただ没頭する。
長時間ネットサーフィンを続けていると、奇妙な感覚に陥ることがある。ネットの中に埋没している、という感覚だ。
夢中になってさまざまな情報を取り込んでいくと、現実に存在している自分とは違う自分が生まれたような錯覚がする。
実際、彼はネットをやっている最中だけ、ひどく快活であり、あるいは気が強く、物怖じせず、さまざまな意見を発露することができた。
3:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:10:40.89 ID:vDKXf2v5o
そして怯えながら眠れない夜を過ごす。半分開いたカーテンが、窓の外の月の姿を曝している。そのことに彼は気付かない。
もう大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら、ゆっくりと目を開く。コンピュータの駆動音が部屋から消え失せていた。
モニターの光がなくなると部屋の中は真っ暗になる。目を開けても閉じても、彼には同じような景色しか見えなかった。
4:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
2011/08/28(日) 17:15:11.52 ID:vDKXf2v5o
どうすれば他の道があったのか? 自分はどうしてこんなことをしているのだろう?
いつからおかしくなったのだ? そんな問いを何度も繰り返し、そのたびに言いようのない不安感に悩まされた。
問いの形は変わったけれど、今でもその不安感だけは変わらない。
5:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:18:54.72 ID:vDKXf2v5o
しばらくしてから、寝起きの口の中や髪が不快になり起き上がる。誰もいない家には、ただ安心だけが充満していた。
彼は太陽に照らされて明るくなった部屋を見渡す。いくつかの本棚にぎっしりと詰まった小説。パソコンデスク。
部屋の隅に置かれたギタースタンドと安いエレキギター。何もない部屋だと彼は思った。
6:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:24:32.63 ID:vDKXf2v5o
部屋に戻ってからコーヒーをデスクの上に置く。パソコンの電源を入れずに、まだ呼んでいない小説を本棚から取り出した。
もっぱら、昼間の暇な時間を、彼は睡眠と読書に当てていた。インターネットは没頭しはじめると果てがなく、大抵の場合得るものがない。
その点小説ならば、と彼は考えたのだ。とはいえ、それによって生活の何かが変化したかと言えば、そういうわけでもないのだが。
7:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:28:43.51 ID:vDKXf2v5o
もし本当に可能ならば、このまま毎日、ずっと小さな部屋にこもり、本を読み、ネットをして、眠る、それだけの生活を送りたい。
そしてそれが不可能ならば、自分が何か変わらなければいけないことは明白だ。
どう変わればいいのだろう、と、近頃彼は思い悩んでいた。
8:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:35:00.31 ID:vDKXf2v5o
父親が帰ってくるのはいつも八時頃だった。彼はそれを避けて、七時の食事を終えてから、すぐに部屋に戻る。
母や姉にはやりたいことがあると言って誤魔化しているが、二人がそれを快く思っていないのは明白だった。
とにかく彼は、またコーヒーを入れて部屋に戻り、鍵をかけてからパソコンの電源を入れた。待機時間中もじっとモニターを眺める。
9:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:39:34.49 ID:vDKXf2v5o
今年の春、彼は十八になった。十八。そして愕然とする。自分はもう、そんなにも長い時間を、この無為にしか思えない時間に使っていたのだ。
それを思うと、もはや取り返しのつかないような気持ちになる。何をしても手遅れだと感じてしまう。
十八。今年で、同級生たちも高校を卒業する。みんなそれぞれを道を歩き出すし、そのうちにいろいろなことを知っていく。
10:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:45:11.57 ID:vDKXf2v5o
彼が引き籠もりを始めたのは高一の春だった。入学式から一週間、まだ誰にも名前を覚えられていないような時期に、彼は本棚をドアノブに噛ませた。
そうなったのにはさまざまな要因があったが、結局のところ、彼は新しい環境というものに上手く親和できなかったのだ。
また、溶け込む努力をしなかった、という見方もできるかもしれない。それも的を射ている、と彼自身も思っていた。
11:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:51:23.58 ID:vDKXf2v5o
たとえば少し暇になって、コンビニに行くか、ということができない。
自分を見る他人の目が気になって仕方なく、自分がおかしくないだろうか、何か変ではないかと、不安に思い、緊張してしまう。
そのことに気付いてからはどうしようもなかった。明確に、自分が外に出ることをおそれていることに気付いたのだ。
12:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 17:57:31.85 ID:vDKXf2v5o
表面的には、彼は毎日、自堕落に、好き勝手に生きているようにも思えた。事実、大半の時間はそうやって消化されていた。
けれどふとしたとき、たとえばネット上のニュースサイトで、学歴や無職などの記事を見つけると、そのたびに暗い思いがわき出してくる。
それらは日常のさまざまな時間を浸食しては、彼を責め立てた。
13:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 18:07:42.17 ID:vDKXf2v5o
とにかく彼の頭の中は、ごちゃごちゃと混沌としていて、理路整然としたものがひとつたりともなかった。
不意にこれまでの人生を振り返ると、彼は言葉を失う。自分はなにひとつ、自分ひとりで決めたものを持たなかった。
高校の進学も周囲がそうするから、そうするのが普通だからという理由でしかなかったし、高校も深く考えずに近い場所を選んだ。
14:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 18:16:59.66 ID:vDKXf2v5o
医者は彼に、どうして薬を飲んだのかと聞いた。彼は嘘をついた。誤って飲んだんです。飲んだら、どうなるのか、知りたかったんです。
医者はそれを信じなかったが、彼にはそんなことはどうでもよかった。あれは脳に作用する薬なので、二度とこのようなことはしていけない、と医者は言った。
また、医者は彼に、カウンセラーに会ってみないかとも言った。
15:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 18:18:58.73 ID:vDKXf2v5o
一旦切る
16:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 18:24:10.50 ID:S3WR3zbTo
まあ、一般的な学生には伝わるんじゃないかな
>>1てst乙
17:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 18:41:40.46 ID:vDKXf2v5o
それも誤りだった。彼は結局、そのまま停滞した日々を過ごした。多少外に出ることはあっても、結局一日の大半を部屋の中で過ごす引き籠もりに。
そして実に二年近い歳月を、ただただ無為に消費し続けたのである。この事実を振り返るたびに、彼は重苦しい気持ちに襲われる。
この二年で、自分と同じ歳のものはどんどんと先に進んだはずだ。その流れの横に、自分は置き去りにされている。
18:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関東)[sage]
2011/08/28(日) 18:44:18.94 ID:28mS+GzAO
テストなら、乙がついても良いはずだよね
1乙。
内容についても触れてみる
この話の彼ほどじゃないけど軽く籠っていた経験のある人間には、ひどく見につまされる
19:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 18:47:57.39 ID:vDKXf2v5o
そんな屈折した思考にとらわれながら、彼はそれでも死のうとは思っていなかった。それどころか、どうすればいいかをひたすらに考え続けていた。
思考が何ももたらさないと知っている人々は、まず行動を起こすことが肝要だと口々に言うが、彼はそう気付くには若く、幼すぎた。
姉はバイトをすることを勧めた。とにかくなにかをはじめて見てはどうかと言うのだ。
20:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 18:55:03.60 ID:vDKXf2v5o
このままではいけない、と彼は考えている。
日々の中でその考えを思い出すことはほとんどなかった。それは不意に現れては、彼の心に小さな傷をつくって消えていく。
彼は堂々巡りの思考をやめて、何も考えないことにした。そうすると今度は、時間が流れていくことを不安に思った。
21:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2011/08/28(日) 18:58:50.39 ID:vDKXf2v5o
季節の変化に疎くなった。日々の中で楽しいと思えることがなくなった。実感できるような自分の成長がなくなった。
感情を表現することが難しく感じるようになった。窓の外の景色を、風景画か何かのように認識することになった。
昼間、外に出ることが怖くなった。他人からどう見られているかが異常に気になるようになった。コンビニのレジに並ぶことすら億劫だ。
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